Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0804

 朝8時の飛行機で鹿児島空港へ。いろいろあって眠れず、朦朧とした意識の中での帰省になりました。思い返してみると50時間で3時間くらいしか眠れていないぽい。頭が痛いわけだ。

 久しぶりに鹿児島市を廻りました。いつの間にか天文館通り付近にジュンク堂が出来ていたので物色。シオランの「生誕の災厄」があったので買いました。ちらっと読んだだけだけれど極めて正しいことが書かれている感じがあります。

 僕もシオラン仏陀の思想に共感しているのに、僕らは仏陀がそうであるようには心の安定を得られていない。その原因が実践の面にあるのか、それとも悟りと近代的自我が前提された社会の折り合いの悪さにあるのか、はたまた別のところにあるのか。このことについてはもう少し考えてみたいと思います。