Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0228

 現実を歪めたり覆い隠したりするような言説をユーモアとは呼びたくない気持ちがあります。ユーモアは知性を明晰にするものであってほしいと思う。まあでも歪みのない現実など幻想なわけで、これはただ自分の狭量さの表出に過ぎないのかもしれない。

 言葉にするとなにもかも他人事になってしまう。つねに自分事として語れる人のことを詩人と呼ぶのかもしれない。僕は詩人になりたい。

 一見複雑に見える物事でも、適当に要素を「発明」してやると驚くほど見通しよく記述できる場合がある。発明した要素を一つのゲシュタルトとして認知できるようなるまでには少し時間がかかるが、一度手に馴染んでしまえば、かつての自分は何故あんなに複雑に考えていたのだろうと馬鹿らしくなるもので、その落差が僕はわりと好きだ。なにかを明らかにするためというよりも、自分の世界をよりシンプルに記述できる記法を求めて、僕はものを考える。そしてその記法が(僕の認識できる範囲で)正しく機能することを確かめるために、手を動かしてみるのだ。

0220

 よく考えるためには、まず考えを止めること。心の水面を静かにたもって、水底をじっと見ること。水底に光る自発性のきらめきを見逃さないこと。

 コロナウイルスについて「正しく恐れよう」と言う人たちがいる。たいへん嫌な言葉だと思う。まるで絶対の正しさがあるかのような言い草だし、よしんばそれが統計的命題に過ぎないことを理解して言っていたとしても、一人の生活者にとって自己は統計サンプルではないし、ゆえに安全側にパラメタ全振りする権利は誰にでもある。人はすぐ体制の側に立ってものを言うのでよくない(もちろん本当に体制側に立っている人には統計的に最善の振る舞いを期待するが)。

0217

 自分の心を観察するときは、推測を挟んではいけない。少なくとも共通言語の論理で推測してはいけない。それは自分固有の狂気を殺すことに繋がる。まず心が混沌を語るのを聞き、そこにある論理を引き出していかねばならない。

 自分の不義理が巡り巡って自分を刺しに(もちろんこれは比喩だ)来るのではないかとふと不安になることがある。そうなったら仕方ないかなと諦める気持ちもある。僕は安定的な人間関係を築くということがからきしできない人間だ。理由はいくつかあるが、最も大きいのは、自分が何にもまして独り考えることを優先してしまうことだろうと思う。我が偉大な思考の前にはすべては無価値だとか、そういう大袈裟なことを思っているわけではない。ただいくら些細でくだらない考えであっても、それを一人弄んでいる心地よい時間を放棄することは、僕にとって難しいことなのだ。大学時代(この傾向が最も強かったのはそのころだ)僕は、考えていることを中断したくないばかりに講義やサークル活動をサボるということがしばしばあった。そうした傾向が自分の社会生活を困難にするだろうことは理解していたが、それでもまあいいやと思っていた気がする。意識の上では、なぜ自分はいつもこうなのかと嘆いていたはずだが、結局そうした生き方を続けていたということは、この優先順位付けは不動のものだったということだろう。あの頃からすれば大幅にマイルドになったが、傾向は今でも変わっていない。よく知らない人間と長時間過ごすくらいなら、いくら面白げなイベントだろうと独りでぼーっと考える時間を選ぶ。こんな自分と変わらず交友を続けてくれている人々には大変感謝している。
 どうも自分は、自分の知性を自分で専有できていない状態を不快に感じるようである。僕が曲がりなりにも今の労働を続けられているのは、たとえ思考を強制されることはあっても、その時間までは強制されないからかもしれない。業務以外に考えたいことがあれば、いつでもそちらを優先できる。もちろん諸々の締切は守らなきゃだけど。

0214

 言語化するということは、強弱の世界から有無の世界に移るということだ。

 Philosophische Untersuchungen を全文丸暗記してみようと思った。言葉の意味や文法は気にせず、ただの音と文字の並びとしてすべて頭の中に収めてみる。それが終わったとき、僕の目にはドイツ語世界がどのように見えているだろうか。僕の脳は何を理解しているだろうか。少し興味がある。

 かつて切実だった問いは、いつの間にかただの知識へと変わり、やがて記憶から零れ落ちてゆく。いつだって切実さは習慣と倦怠に飲み込まれる。だが切実に問うことを忘れるな。その限りにおいて僕は生きているといえるのだ。

0211

 暖炉のある暮らしっていいよね、ということで先日注文していたミニチュアレンガが今朝届いたので、さっそくミニチュアロケットストーブを作ってみた。これが東京暮らしの限界である(そんなことはない)。モルタルも準備してあるのだが、まずは仮組みして割り箸を燃やしてみる。よく燃える。そして予想以上に焚き火の匂いがした。これは室内では無理だ……。ということでミニチュア暖炉計画は一瞬で凍結の憂き目と相成りました。当面の間は Wood Wick で我慢することにしよう。なんとかして煤や匂いを除去するフィルター作れないかな。

0210

 言語においてはミイラ取りは必ずミイラになる。相手を説得しようとすることは、相手の言葉を覚えることだからだ。多数の人々が曲がりなりにも共通の世界観を維持できているのは、この作用に依るところが大きい。もちろん身体的な同質性により生活環境が似通いがちだというのもあると思うけれど。

 眼を閉じて言葉やイメージが湧いてくるのを待つのが好きだ。というかそうしない限り僕は自分の考えていることや望んでいることにアクセスできない。だから長いことそうした時間を取れずにいると自己と自己認識のズレが拡がってもやもやと生きることになる。気をつけなきゃいけない。