Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

転職

 5月いっぱいで現職を退職し、6月から東大のとある研究室で労働することになりました。役職はリサーチエンジニア、ということになっている。現職には、アルバイト時代も含めれば、かれこれ7年以上勤めていたことになる。長いこと居座ったものだ。よけいな色のないところがわりと気に入っていたのだ。しかし先日、とある巨大なコンサル会社に買収され、色合いが大きく変わりそうな雰囲気だったので、これもなにかの機会だろうと転職を決意したのだった。で、転職を決意したちょうどそのタイミングで、その研究室の人から誘いを受けた。人生というのは不思議なものである。思えば現職に入社したのも妙な縁からであって(某しにゃん主催の読書会で出会った人に誘われたのだ)、行き先が必要になると自動的に道が現れるのが僕の人生の特色らしい。流されてばかりだが、まあそのぶん、流れ着いた先では可能な限りよく機能したいと思う。自分の性能を認めてくれる場所があるというのは大変ありがたいことだ。経歴といえば、学部で少し哲学をやったに過ぎないのにね(もちろんこれは自分にとっては意味のあったことだ)。ところで、現職についてはいろいろ思うところがある。少なくとも数年くらい前までのこの場所には、好ましい種類の無色さと、人生の踊り場というか休憩室というか、そういう種類の寛容さがあった。社員のバックグラウンドはかなり多様だったし、他人への興味の薄さからくる優しさ(あるいは忍耐強さ)のようなものがあった。もちろん、そうではない例もあったし、またこうした環境で逆にしんどい思いをした人も多くいるだろうなとも思うけれど。そういう場所が、社会の巨大なダイナミズムにのまれて消えるのは残念なことだと感じる。まあ、諸行無常である。さて、6月からは大学である。卒業したときには、アカデミアとの縁はもうこれきりだろうなと思っていたわけで、何が起こるかよくわからないものだ。学生時代は完全に不適応を起こしていたが、今回はどうだろう。やれるだけやってみるつもりだけど。