Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

哲学探究を読む(8)

一週間以上空いてしまった。よくない。とにかく第10節。 それでは、この言語の語は何を表記しているのか。――その慣用のされ方においてでないとすれば、それは何を表記し、その何かはどのようにして示されるのだろうか。〔語の〕慣用については、われわれは…

哲学探究を読む(7)

第8節では第2節の言語が拡張される。追加される語は数詞 a, b, c, …… および「そこへ」「これ」である。また助手には一冊の色彩標本が渡される。など。すると「d―石板―そこへ」や「これ―そこへ」などの文が言えるようになる。 続く第9節では、第8節の言…

哲学探究を読む(6)

いまさらだが1節ずつ読んでいく方式だとその都度意識が寸断され議論の全体像を追いづらくなってしまう。この辺で一度流れを整理しておくことにする。 まずアウグスティヌス的な言語観が提示される。この言語観においては、言語とは意思疎通の一つのシステム…

哲学探究を読む(5)

ここ数日の間に決めねばらならないことがいくつかあり、その決断に精神のリソースを消費してしまっていた。だいぶ時間があいてしまったが、第6節。 言語獲得以前の子供は、言葉を理解しないので、言葉による説明を介して言葉を学ぶということはもちろんでき…

哲学探究を読む(4)

昨日よりは元気になったとはいえ、頭の働きが鈍っている。思考がなかなか形を成さない。こういうときは、意識的に一度頭を真空状態にしてしまうのがよいことを知っている。気圧差に導かれて、空っぽになった頭の中にぽつぽつと考えがわいてくる。これをゆっ…

哲学探究を読む(3)

どうも今日は一日中体調が悪かった。全身の神経がひりついている感じ。それはさておき第3節。 前節では、一つの小さな言語が提示され、これを「完全で原初的な言語」と考えてみよう、という提言で終わっていた。だが、ここで注意しておかねばならないことが…

哲学探究を読む(2)

早起き――といっても8時起床だけれど――に成功した。残念ながらすがすがしい目覚めとはいかなかったけれども。 というわけで第2節。 意味という、かの哲学的な概念は、言語の働きかたに関する一つの原初的な観念のうちに安住している。しかし、それはわれわ…