Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

哲学探究を読む

哲学探究を読む(28)

第51節。これまでの議論は『テアイテトス』の言語観を論駁するためのものだった。『テアイテトス』の言語観とは、世界には「原要素」が存在し、それが名指されることで、対象と記号の、すなわち世界と言語の結び付きが作られているという言語観である。人…

哲学探究を読む(26)

また前回から日にちが開いてしまった。誰に対しての言い訳かわからないが――というか言い訳とは本質的に自分に対してするものである――書いておくと、去年から職場(現時点基準だと前職)の人たちと『青色本』読書会をしていて、それがまだ続いている。正確に…

哲学探究を読む(25)

なんやかんやで一年経ってしまった。もう少し時間をうまく使わねば。がんばれわが前頭葉。 ある特定のゲームの外部で「この対象は複合的か?」と問うことは、ある幼い子供がかつてやったことに似ている。その子供は例文に出てくる動詞が能動態か受動態かを言…

哲学探究を読む(24)

無我夢中で何かを成し遂げるのと、あらゆる瞬間に意識をとどめつつ何もしないのとでは、どちらが人生の浪費だろうか。充実した過去/未来と透き通った現在、どちらがより深い満足をもたらすだろか。 第46節。『テアイテトス』におけるソクラテスの発言が引…

哲学探究を読む(23)

ひと月くらい前からちょっとした研究を進めていた。なんでもいいから出来そうなことをやって論文を出そうという不純な動機ではじめたものである。そこそこ良い結果が出て、不純な研究なりに楽しくなってきたところだったのだが、先日 CVPR 2021 をオンライン…

哲学探究を読む(22)

第37節。「名と名指されるものの関係とは何なのか?」もしそれが「精神」でないのだとすれば。「それは、場合、場合で様々なことなのだが、ある場合には、名指されたものにその名が書きつけられているということであるし、あるいは、名指されるものが指さ…

哲学探究を読む(21)

このところどうも気負いが生じてしまって哲学書の類を読めなくなっている。無駄に意気込んですぐ精神を疲弊させてしまう。数学の本を気軽に読み進められるようなってきたのと対照的である。これはよくない。もっと気楽に、もっと適当に、しかし集中力は維持…

哲学探究を読む(20)

3月があまりに忙しかったため精神の調子を回復させるのに時間がかかってしまった。生きるために労働をしているというのにこれでは本末転倒である。 気を取り直して第34節。 それでも誰かが次のように言ったと仮定してほしい。「形に注意を向けるとき、私…

哲学探究を読む(19)

労働において自分の関わるいくつかの案件が山場を迎えており、哲学書を読むような気分を維持できずにいた。現実的な問題を解くことにエネルギーを投入している間は、そうした「現実」を前提から支えている枠組みに対する懐疑の気持ちは弱まってしまう。かつ…

哲学探究を読む(18)

1月後半はずっと体調を崩していた。熱が出たので covid-19 を疑ったが、郵送 PCR 検査を受けてみると陰性で、病院で診てもらったところウイルス性の扁桃炎ぽいとのことだった(しかしどこから感染したのやら、ほとんど引きこもりの生活をしていたというのに…

哲学探究を読む(17)

ここのところ隔週更新になっている。もう少しペースを上げていきたいところである。『探究』を読むという以外にも、今年は、自分の思想を体系的にまとめたり、ちょっと長めのお話を書いたり、といったことにも挑戦してみたいなと考えており、まあ考えている…

哲学探究を読む(16)

どうも自分は、頭が煮詰まると身体(とくに眼)を動かして退路を探る癖があるようで、結果としてノイズが脳に入力されて考えが拡散する。で、気が乗らない問題を考えていたような場合には十中八九戻ってこない。集中力の増進のためにはじっと身体を固定する…

哲学探究を読む(15)

何かを「自覚的に」知るということの意味は、それを可能性の空間のなかに位置付けることである。それゆえ、自覚することは人に選択を迫る。理由と意志を持つことを要求する。自由と引き換えの重責を避けるために、人類は無自覚な知の形式を維持・発展させて…

哲学探究を読む(14)

自分の完璧主義と付き合っていくうえで重要なのは、完全性への拘りを薄めようと努力することではなく、むしろ、それぞれの行為が「一個の作品」であるという認識を捨てることなのではないかと思った。もっとこう、歯磨きするような気持ちで。 ここのところ労…

哲学探究を読む(13)

鬼界彰夫訳『哲学探究』が届いたので目を通していた。日本語がこなれていて全集の文体に慣れ親しんだ者としては違和感があるけれど(自分の中ではあれがウィトゲンシュタインの「肉声」になってしまっている)、何箇所か比較してみたところでは全集よりも上…

哲学探究を読む(12)

『哲学探究』の新しい邦訳が出たことを知り早速注文した。訳者は鬼界彰夫。訳が良ければ全集版からそちらに乗り換えるかもしれない。革新的なことに電子書籍版もあるらしい。しかしまあ、哲学書は紙がいいよな、書き込めるし。 それはそれとして、野矢茂樹訳…

哲学探究を読む(11)

僕は興味のないことをするのがたぶん普通の人よりも苦手だが、その苦手さをより詳細に述べるなら、興味のないことに対する徹底的な自発性の欠如ということになるだろう。自分はわりと器用な人間なので、興味のないことであっても一定の範囲内であれば反射的…

哲学探究を読む(10)

今回はまとめて第11~14節。これらの節では、前回も引用したが、以下の主張を補強するためのいくつかの例え話が語られる。 「言語に含まれる一つ一つの語は何かを表記している」とわれわれが言うとき、このことによって、さしあたりまったく何ごとも言わ…

哲学探究を読む(9)

また前回から日が開いてしまった。何度か筆を取ってはみたものの、第10節の内容について納得のいく解釈が得られず、毎回途中で放擲してしまっていたのだ。実のところ、第10節が理解できないというそれは現在進行形の問題なのだが、このままだと悩んでい…

哲学探究を読む(8)

一週間以上空いてしまった。よくない。とにかく第10節。 それでは、この言語の語は何を表記しているのか。――その慣用のされ方においてでないとすれば、それは何を表記し、その何かはどのようにして示されるのだろうか。〔語の〕慣用については、われわれは…

哲学探究を読む(7)

第8節では第2節の言語が拡張される。追加される語は数詞 a, b, c, …… および「そこへ」「これ」である。また助手には一冊の色彩標本が渡される。など。すると「d―石板―そこへ」や「これ―そこへ」などの文が言えるようになる。 続く第9節では、第8節の言…

哲学探究を読む(6)

いまさらだが1節ずつ読んでいく方式だとその都度意識が寸断され議論の全体像を追いづらくなってしまう。この辺で一度流れを整理しておくことにする。 まずアウグスティヌス的な言語観が提示される。この言語観においては、言語とは意思疎通の一つのシステム…

哲学探究を読む(5)

ここ数日の間に決めねばらならないことがいくつかあり、その決断に精神のリソースを消費してしまっていた。だいぶ時間があいてしまったが、第6節。 言語獲得以前の子供は、言葉を理解しないので、言葉による説明を介して言葉を学ぶということはもちろんでき…

哲学探究を読む(4)

昨日よりは元気になったとはいえ、頭の働きが鈍っている。思考がなかなか形を成さない。こういうときは、意識的に一度頭を真空状態にしてしまうのがよいことを知っている。気圧差に導かれて、空っぽになった頭の中にぽつぽつと考えがわいてくる。これをゆっ…

哲学探究を読む(3)

どうも今日は一日中体調が悪かった。全身の神経がひりついている感じ。それはさておき第3節。 前節では、一つの小さな言語が提示され、これを「完全で原初的な言語」と考えてみよう、という提言で終わっていた。だが、ここで注意しておかねばならないことが…

哲学探究を読む(2)

早起き――といっても8時起床だけれど――に成功した。残念ながらすがすがしい目覚めとはいかなかったけれども。 というわけで第2節。 意味という、かの哲学的な概念は、言語の働きかたに関する一つの原初的な観念のうちに安住している。しかし、それはわれわ…

哲学探究を読む(1)

最近めっきり衰えてしまった読書筋を鍛えなおすために、『哲学探究』を再読して読書記録を書いていくことにした。読書筋とは書いてあることを書いてあるままに読もうとするさいに使われる筋肉のことである。これが衰えるとどうなるかというと、何を読んでも…