Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

注意

自分の内側をつねに減圧しておくことだ
くぐもって遠い心音が厚いガラスの向こうに聞こえる
純粋意識は夢に空いた穴 完全な真空
さめればさめるほど私の時計は自由になる
羽毛と鉄球の区別は失われ
記号たちは烏にまじって遊んでいる

しかし私は singularity になることもまた望まない
すべての細部をいつくしみ肌ざわりに統べるためには
わずかな摩擦が必要なのだ
まどろみに向かう原初の光の中で私は
雑音と声のバランスをとろうとした

過程

閉じた目蓋のうらの暗闇は星空よりも広くなければならない。湖の底でたゆたいながら、肌になじむ水の動きに心をとかし、何もないことに耐えかねた空間がふつふつと泡立つのを待つ。指先のみを頼りに、光と闇の隙間から鍵を拾い上げるとき(もちろんそれは誰の落とし物でもない)、はりつめた神経は非対称に脱力し、非自明な言葉を文脈に接ぎ木してゆくこととなる。だが忘れるな。君の得た飛躍はもはや星座の一部であるということを。偶然の精緻さにめまいする足を踏みしめ、解体し、豊かな軸を見抜くなら、意味の限界は君の友となり、新しい辺境を旅する道づれとなるだろう!

哲学探究を読む(25)

 なんやかんやで一年経ってしまった。もう少し時間をうまく使わねば。がんばれわが前頭葉。

 ある特定のゲームの外部で「この対象は複合的か?」と問うことは、ある幼い子供がかつてやったことに似ている。その子供は例文に出てくる動詞が能動態か受動態かを言わなければならなかったのだが、例えば、「眠る」という動詞が能動的なことを意味するのか受動的なことを意味するのかについて頭を悩ませていたのである。

 前回引用したこの節は、ウィトゲンシュタインの教師時代のエピソードだと思うが、本筋とは少し異なるところでちょっと面白い。というのは、古代ギリシャ語では「眠る」は中動態なのだ。子供がそこで戸惑うのだとしたら、やはり能動/受動の言語世界は無理をしているのかもしれない、というのはこじつけだろうか。

 第48節。「『テアイテトス』のあの叙述に、第2節の方法を適用してみよう」。つまり、原要素が存在するような言語ゲームを作ってみる。色のついた正方形が原要素であり、その複合物(文)として正方形の配列が記述される。

 少し引っかかる感じがする。「だが私には、我々の文が記述する図形が四つの要素からできていると言うべきなのか、九つの要素からできていると言うべきなのかわからない!」それはあなたがこのゲームを外部から見てるからではないか?真にこのゲームの中に生きている人にとっては、色正方形は原要素であると言って問題ないはずである。というかそもそも、彼らは「色正方形は原要素だ」と言うための言葉を持っていない。彼らにおける「記述」において、色正方形は枠の外側にある。そのような言語ゲームを設定したのだから当然だ。それをゲーム外から眺めて、「何が原要素か確定できない」と言うのは、単にわれわれの日常言語のゲームにおいてそれらが原要素ではないということを意味するのに過ぎないのではないか?と言いたくなる。これは誤読だろうか?

 こういうことかもしれない。突然神様が現れて「これが原要素だ」と教えてくれたとする。たしかにそれは今のところ名指すことしかできないように見える。しかし、48節のいくつかの例が示すように、単純/複合は(言語ゲームの創造可能性という意味では)反転可能である。だから神が与えてくれた原要素は(それをわれわれが認識し名指すことができる以上は)原要素でなくなることもできる、ということだ。ここにおいてなお原要素を考えることに意味はあるのか、とウィトゲンシュタインは問うているように思われる。

 原要素が可能であるとしたら、言語ゲームの外側で決まっており名指すことすらできないか、言語ゲームの可能性に(本質的な)限界があるか、どちらかの条件が必要であるように思った。あー、この二つは結局同じことかもしれない。

 意味のある読書をするための最小時間単位というものがあって、それを下回ると文字をなぞるだけになる。『探究』の場合は2時間程度だろうか。

圧縮

無限に大きな紙が不気味だったので
折りたたんで折紙魚にした
冷たく重い水の底
二度あることが三度ある場所

だから一枚の鱗は無限に重なる
超越論的議論の帰結はそう示唆するものの
確かめることはできず
それゆえ知性が立ち上がる
無視された差異の残響
折り出された鰭を意味と呼ぶことにして

深海探査が自己解題に漸近するにせよ
折り手もまた襞の中に見出されるうちは
展開図の恣意性も形而上学を妨げはしない
沈め折りの唇で哲学者はそう語っている
これも紙の予定のうちなのだ
折ることができたということは

どこまでも帰還する魂の論証
対生成された意味と無意味が出会うまで
冷たく重い水の底をぼくらは泳ぎ
捕えた獲物を平らに展ばして
ときにはそこに詩を書き込むのだ