Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0510

 じっくり学ぶ数学の講義を聞き流しながら記号論理学講義を読みました。再帰関数のお話で、このへんは先学期に飽きるほどやったのですんなり進みます。チューリングマシンの議論ははじめてだったけども、それほど難しくはなく。次はλ計算ですね、わくわく。

 その後、謎の集会に参加しておしゃべりしました。宗教の役割とかその辺の話をしたわけだけども、まず何について議論されているかが不明確で、何かなあという感じ。愛とは何か、みたいな命題と同種の問題。
 語られるべきことを明確に。まずは議論の射程と目指すべきところを把握せなばなりません。そしてそこが一番に難しい。

 僕は相互の不干渉の間でゆったりとやるのが好きだから、家族とか親族などという間柄の、血と年月の近しさが余り得意ではありません。嫌いではないのだけど、気が休まらないのです。昔はそうではなかったはずなのけどな。高校に入り遠くで下宿するようになってから、そういう傾向が強くなったように思います。母が割とすぐ怒る人だから、怒らせないようにしようとするその意識的なやり口が、何かしら僕の意志の表明の仕方を制限してしまって、それが高校時代に良くない方向へ働いたのでは、というのが僕の分析するところです。どうしたものかね、まあどうでもいいや。

 明日はちゃんと午前中に起きて数学をやりましょう。朝がここちの良い季節がやってきたのだ。