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Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

独我論と自由意志

 どうやら、僕の脳はTABRISを受け付けないらしい。それが、僕を診察した医師の出した暫定的な診断結果だった。TABRIS。なんの略称か僕は知らないけども、そのまま読み下してタブリス、自由意志を司る天使の名前となる。略称を意図して付けられた正式名称の気持ちを推測してみて、特になんの感慨もわかない。世の物事はたいてい妥協のもとに進行してゆくことになっている。
 この自由意志を司る天使の名前を略称として持つ装置は、端的に言って自由意志を司る。より正確に言えば、言語以上に強力な、意思フィードバック機構。神経回路の中に埋め込まれた多数のナノマシンによって、本来脳における情報処理の出力結果として具象化される意志を、入力側に大きく働きかける機能を持っている。
 例え話としてこうなる。僕は勉強をしたい。もっと賢くなって、難しい計算とかしたい。そういうふうに、意識の上では思っている。けれども、無意識のうちには、早く寝たいなあとか、本を読みたいなとか、そういう雑念がふつふつと沸き起こっていて、たいていそちらが優先されることは、これを読んでいるあなただって知っているはずだ。TABRISはここに作用する。勉強して賢くなりたいという、意識の上の、すなわち使用者が言葉として表出する部分の意志を、脳細胞の総意であるようにニューロンの変質を促すのだ。その結果として、僕は心の底からの欲求として勉学に励むことになる。
 これを自由意志と呼んで良いのかは議論が分かれるところなのだけど、人間が社会的に生活する上では、非常に大きな力を持つのもまた事実だ。様々な事態に適応するよう進化してきた脳の機能も、高度に組織化された人類社会のうちにおいては足かせになることだって多い。今、人の世で人の望み、人の夢として語られうるものは総じて、言語的に語られうるものだ。だから、それらは通常TABRISの支援によって効率良く叶えられてゆく。原始の時代に必要とされた機能が必要とされる場合はスイッチを切ってしまうか、TABRISを使わない人々が一定数いれば事足りる。そういうわけで、現代日本の人間は17歳になると脳にTABRISを埋め込む手術をするのが通常となっている。17歳までは好奇心を多様に広げ、やりたいこと、好きな事を見出し、それからTABRISによってその実現に突き進む。それがこの世界の一般的な人類のあり方だ。

 そのTABRISが僕の脳に対しては上手く働かない、らしい。僕の脳が器質的におかしいというわけでも、TABRISが故障しているわけでもない。それなのに、僕の意志は僕の無意識へとフィードバックされないのだ。数学者になりたいはずの僕が、手術を終えた帰り道に数学書を読み進めようとしたところ全く集中できないので、手術を行った病院に引き返し幾つかのテストを受けた結果、僕の意思決定は手術以前と全く同様に行われていることが判明した。そしてその原因はまったくもってわからないという。困ったなと、僕は漠然と考えた。
 現代人は努力することを学ばない。努力はTABRISの機能によって、本来的な希求であるかのように実現されるから。頑張りすぎる人に対する精神ケアやTABRISの調整なんてものはどこかしこで見かけるけども、努力する方法、自分を律する方法というのは、逆にどこでだって教えられていないのだ。
 22世紀になって人は無意識の奴隷であることをやめた。社会的目標がニューロンを制するようになった。そんな擬似自由意志の時代において、未だに無意識に隷属する僕に未来なんて無かった。

 TABRISの発明者である、あの天才なら何とか出来るかもしれない。病院で診てくれた医師に渡された住所を頼りに、僕は最寄り駅でモノレールを待つ。ふとレールを覗きこむと、昔は日本でも多くの人が自殺していたのだという、高校の教師の話を思い出した。ホームから線路へと跳び込んで命を断つ人がいたなんて、今ではにわかに信じられない。TABRISが普及して以降、自殺は激減した。TABRISは希死念慮をフィードバックしないよう出来ている。だから、死への欲求は、いかにそれが意識の上に登ろうと、他の雑念と同じように、強力な意志に塗りつぶされて消える。悪意や、狂気も同様に。まあそれらが死にたさのように一辺倒ではないから、全てがなくなるわけではないけど、"勢い余って"の犯罪はほぼ起こり得ない。世の中はルールに管理されていて、そこから外れることは、原理的にできないように出来ている。ディストピアだろうか、そうかもしれない。けれども、似たような不条理は過去にも存在したろうし、TABRISによる平穏がことさら異常なものとも思えないから、僕らはそれらを一種の諦観とともに享受している。
 音もなく車両がやってきて、停止する。高度な複合材料で一体形成された車両は、軽く、省エネで、機能的だ。1車両が100キロ程度しかないと聞く。ドアが開き、沢山の乗客が降りてくる。自由な人々が。
 その中に、幼馴染の少女を見かける。なにか言いたそうな目をこちらに向けていたが、僕は無視して電車に乗り込む。彼女は、僕と同じ日にTABRISを入れた。それ以降話をしていない。僕は彼女と話をするのが怖かった。TABRISを入れた人間は、以前より割り切った思考をするようになる。自由になった彼女と不自由な僕の関係がどんなものになるのか、僕には予想がつかなくて、無意識の計算する不安だけが僕の裡にあった。

 モノレールを二度乗り換えて、その天才のいる大学へと向かう。タブレットの言うがままに正門をくぐり、2号館と銘打たれた建物に入ると、沢山の教室があり、そこでは活気のある講義が行われている。優秀な教官、学生たちなのだろう。けれども、それはTABRISあってのものだと思うと、急に何かが色あせて感じた。僕らは一体、何を望んでいるのだろう?