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Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0708

 数理手法の期末試験に向けて勉強をしていました。わかった気はしないけれどひとまず問題は解けたので良しとする。
 抽象的な概念を扱っているとき、自分がいま何を考えているのか見失うことがままあります。本質を理解できていないのか、それとも、言葉を操る能力が低いのだろうか。
 規則の集積を「解釈する」とはどういうことなのだろう、と思う。なんだか不思議なことが起こっているような気がするのだ。お互いを完全に誤認しあっているのに、なぜだかそれでうまくいってしまっているような。

 言葉は、僕らが心の内側に構築したシステムの部分に対応していて、言葉の結合は記述される対象の大まかな近似を作り出す。だから僕らは、短い音の連なりによって豊かな内容を伝達することができるし、その裏返しとして厳密には正しくない言説に納得したりする。だいたい生きるのに十分な程度の精密さを備えた世界の似姿。それが僕らが普段使いにしている言葉たちだ、と僕は思う。
 最近、言葉たちがうまく機能していないんじゃないかと思うことが増えた。責任とか、創造とか、そういう言葉が、本来の機能を逸脱して使用されているのをしばしば見かける。いちおう辞書的な定義は守られているのだけれど、その機能がよくない仕方で発揮されているのだ。例えば、どちらを選んでも非道いことになるような場面で自己責任論が持ちだされる、というように。そういう事態が起こるのは、僕らの内面にあるシステムが、うまく世の中を反映していないからなんじゃないかと僕は思う。多くの人々は世界が希望に満ちていた時代の言葉遣いを引きずっていて、未来のない現代における言葉遣いにまだ慣れていない。僕らは旧時代の言葉たちに首を絞められている。