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Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

述懐

 自分が昔書いたものを読み返していました。どれもこれも考えが足らなくて、背伸びばかりしていて足元が疎かで、痛々しくて、でもなんだかきらきらしたものに満ちていて、眩しいなあと思いました。つらいつらいと書きながら、結構楽しそうにしているのです、2、3年前の僕は。下手くそなりにユーモラスであろうと頑張ったり、思いついたアイディアを何とかして伝えようとしたりして。眩しくて、哀れだなあと思いました。

 あの頃の僕は、人に遅れないようになにかと必死でした。尊敬する人たちは、自分と同い年の頃にはもっとすごいものを作ったり書いたりしていて、今の僕にそれができないのなら、きっと彼らのようになることはできまいと思っていました。そしてその推測は正しかった。気付いていないふりをしていたけれど、あの時すでに自分と彼らの差は明らかだったのです。その遅れはただ拡大を続けながら今に至っています。僕には、およそ才能と呼べるようなものは何一つなかった。ただ、己の無才さを隠蔽する自意識のみがありました。偽装された希望。かつてのきらめきはそんなのものの裏返しだったのです。そう考えると、身を切られるような思いがあります。馬鹿なことをしたものです。

 僕には、好きなものがあまりありません。好きだと言ってみせるものはいくつかありますけど、心のなかではどうでもいいなと思っています。いや、それに没頭しているときはちょっと楽しい気持ちもあるにはあるのですが、今みたいな普段の意識において反省すると別に好きでもなんでもないなと思えてしまう。「それを好きでいることが都合よいというだけなんだろ」と言語が囁くのです。そして僕はその通りだ、と思う。ここまではっきり意識していたわけではないけれど、中学の頃からそういう面があったような気がしています。そうでもなかったっけな。

 好きなことがないので、価値判断が曖昧です。何々をするのが良いことだとか、誰々が偉いとか、そういう意識が希薄で、だから生きる指針がブレがちです。けれど何かに価値を置かねば行動することなんてできないので、いつの間にか僕は希少性を行動の指針にするようになっていました。特別であることが目的になっていったのです。そうしておけば、価値の問題に煩わされずに済むのです。どんな方向性でも良い、ただ希少であれば良い。そんな感じで生きてきました。

 これが僕の一番大きな失敗だったのだと思います。なにせ、一万人に一人くらいの特殊さなんて、日本に一万人は転がっているのです。しかも特殊な人間というものは仲間を探して集まってくるものですから、一度その集まりに参加してしまえば、僕はただの凡庸な人間でしかありませんでした。しかも彼らは付随的に特殊であるだけで、ただ特殊であることを目指した僕とは決定的に質が違うのです。いろんなところでいろんな人々に圧倒されて、僕も何かやらねばならないと強く思いました。それで、疲れました。

 表現したいことなどないのに無理やり表現するというのは、決してやってはならないことです。それは自分を切り売りすることにほかなりません。表現というのは余りある衝動をおすそ分けするような気持ちでやるべきものなのです。それなのに僕はすっからかんの自分を絞りだすようにしていろいろなことに手を出しました。特別な自分を認めてやりたい一心でした。

 特別になりたいのではなく、褒められたいのであれば、もう少しマシだったでしょう。動機がどうであれ、認められるということは必要とされることです。そして必要とされているうちは生きてゆくことが出来る。でも僕にとっては、必要とされることすらどうでもよかった。だって必要とされている人間なんてたくさんいるのだから。そう本気で思っていたのです。バカバカしいことです。

 そんなこんなで疲弊した僕は、自分の価値判断の曖昧さをもっと突き詰める方向に舵を切ることにしたのでした。特別であることすら無意味だと思うことにしたのです。あらゆる価値を脱ぎ捨ててしまって、ただ生そのものを享受できるようになればな、という考えからでした。案外うまくいって、今こんな感じでぼんやりと生きています。それなりに幸福です。屍者の幸福とでもいうべきものではありますが。

 これからどうしようか、ということを考えます。遺書でもしたためるつもりで書きはじめた文章ですが、別に死ぬつもりがあるわけでもありません。一応生きてゆくことは考えていて、生きてゆくことをどう自分に認めさせようかと考えています。まずは、好きなものを育てるところからかしら。

 昔の自分に眩しさをにあてられて、こんなものを書いています。その眩しさは、どうしようもなく絶望的なものではあったけれど、それでもきらめいて見えたことはたしかです。今でも僕はそういうきらめきに憧れているのかもしれません。それで、もう一度だけきらきらしてみようか、とか思ったりしたのです。今度は、それが嘘だってことをきちんと自覚した上でさ。無意味で透明できらきらした球体。そういうものに僕はなりたいと思うのです。今はまだ少しだけ、だけど。

 なんだか辻褄の合っていない文章を書いてしまいました。まあそもそも僕の脳内に平仄など存在した試しがないのですけれど。

 いつの間にか朝になっています。一眠りして、それから大学へゆきましょう。履修どうしようかな。