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Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0228

 論理の説得力は錯視のそれに近い、ということをふと考えた。

 『プロレゴメナ』をちびちび読んでいます。今更ながらやはりカントは偉大だと思う。ただ純粋直観と経験的直観の区別は彼が考えていたほどには厳密なものではなく、むしろスペクトラムをなしているように僕には感じられる。時間や空間、論理なんかはとても硬い直観で、一般的な対象の構成は柔らかい直観という感じ。硬さというのは、つまりどのくらい「そうでないことはありえない」と気持ちに訴えてくるかということ。

 論理学は一種の内省なのだと思う。つまり人間が自らの認知能力を観察するときに見出される法則たちが、論理法則なのだ。思考もひとつの自然現象だと考えれば、論理法則はまさに自然法則である。だがここにおける自然は結局のところ言語ゲームの内側で語られる自然なのであって、そこで見出された法則はいくら硬いものに思えようと、完全に硬いということは、つまり〈自然〉そのものであるということはありえない。ニュートン力学が世界を完全には記述しないのと同じように、論理学は思考を完全には拘束しない。規則のパラドックスはそうした事態を反映しているのだと僕は思う。

 認識について認識すること。自分の認識プロセスそのものが観察対象になるとき、主体は奥へ奥へと後退し一点の光になる。意識のゼロポイント。Fiat lux!