Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0413

 考えたいことがいくつかあるのでメモしておこうと思います。
 まず数学と哲学(やその他の学問)との違いについて。漠然と、対象を認識する仕方に違いがあると考えているのですが(数学的対象に主観/客観の区分などありえないように思われます)、では数学的対象の性質は何かというとよくわかっていません。規則の存在が重要なのは明らかだけども、規則が存在するということについては、かなり曖昧な部分が残されているように感じるのです。もう少し広範な事例について考えてみる必要があります。
 あと何について考えたかったのだっけ。家から電話がかかってきて忘れてしまいました。
 数を知らない人に数を教える方法。彼は、りんごを見てそれはりんごであると言うことは出来る。しかしりんご3つを見てりんごが3つあると考えることは出来ない。そこで、2つの箱を用意して、片方の箱に3つのりんごを入れる。次に、1から始まる全ての自然数を書いた本を彼に渡し、次のように命令する。片方の箱からりんごを取り出し、取り出す度に本を読み、書かれている数字に上から順に印をつけ、もう片方の箱にりんごを入れる。これを繰り返して、はじめにりんごの入っていた箱からりんごがなくなったとき、最後に印をつけた数字がりんごの個数である。さてそう命じられた彼はりんご3つを一度に取り出してもう一つの箱に移してこう言う。「箱のなかにはりんごが1つ入っていた」そこであなたは、それぞれのりんごを区別させようと考えるのだが、もちろんこれも失敗する。
 自然数の形式的定義は常に上記の問題を含んでいるように思います。1とそれ以外を区別できることが要請されている、ように思うのです。結局、世界のある部分をまとめて一つのものとして扱う、という人間に類する知性に特有の働きが前提とされているのだ、たぶん。

 昨日の新歓で疲れて起きたのは13時過ぎでした。早めに寝たのにな。家からベッドが送られてくるという話だったので夕方までずっと家にいたのですが、さっき確認したところそれはやめになったとのこと。だったら先に連絡しておいて欲しい。
 CLIP STUDIO PAINTを買ってしまいました。ちょっと試し書きしてみた様子では、なかなか良い感じです。いろいろな機能がデフォルトで組み込まれているようなので、マニュアルを読んで理解せねばなりません。道具の使い方を覚える手間を惜しんではならない、というのが、僕がここ数年の失敗で得た教訓なのだ。