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Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0317

 シャワーを浴びながら何気なく両手に溜めてみたお湯がはっとするほど透明で、なんだかそれがひどく尊いことのように思われて感極まるという経験をしました。精神の振れ幅が大きくなっているみたいです。それから僕は水が好きなのかもしれません。あまり意識したことはなかったのですが。

 ふと思い立って上野へ行ってみました。上野駅構内にある書店を物色していたら、これは毎度のことなのですが、自分の知らない知識の量が意識されて焦りが湧いてきた。知識への信頼を失ってしまったなどと言いながらこんなふうになるのは浅ましい気もしますが、しかしまあ動機がなんであれやる気が湧いてくるのは好ましいことです。できるなら図書館に住むのが良いかもしれない。自宅を図書館にするにはお金と場所がちと足りない。
 谷川俊太郎の自選集があってちょっと立ち読みしたのですが、この詩人はときおり言葉への不信のようなものを書くことがあるのを僕は知っています。不信というとちょっと違うかな。言葉にしてしまうことによって生の世界をが強く規定されてしまうことを、あるいは言葉によっては決して到達し得ない地平があることを肌で知っている感じ。「定義」とか、この前サークルで歌った「木」なんかにそういう思想がちょくちょく登場しています。そしてそれでもなんやかんや書いてしまうところに、ちょっと親近感を覚えたりする。僕もときどき、詩人になりたいと思うことがあります。そしてもっとときどきだけど詩らしきものを書いてみたりもする。でもやっぱり、なんか違うなあとなるのです。歩くように言葉を操ることは、僕には出来ない。生まれた時から逆立ちしているのかもしれないな。
 結局詩集は買わずに、甘利さんの情報理論の本とアンナ・カヴァンの氷を買いました。学習器の評価にあのへんの概念が使えそうなのと、院試の勉強にちょっと役立つかな、という感じで。氷の方は完全にミィハァ(ハーモニーぽい)を発揮しました。こういうの僕の良くないところ。

 駅を出て上野公園の方に歩いてみました。もうだいぶ暗くなっていたので、周りに何があるのかよくわからず。でも人気は少なくて、空間も開けていたから、結構落ち着く場所でした。ベンチに座ってしばらく噴水を眺めていたのだけれど、なんというか生きてる!という気分になってきた。また今度昼のうちにやってきて、美術館とか博物館とか入ってみよう。