Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0109

 昨日今日と上手く眠れなくて、頭痛フレンドリィな一日でした。十分な時間寝ているはずなのに寝た気がしなくて、不穏です。僕は何か僕の知らないストレスと抱えていたりするのだろうか。言ってみなよ、相談にのるからさ。(冗談)
 大学に行って、英語一列受けて、それから実験。霧箱を使って放射線を見ようというのが目的だったのだけど、条件が合わなかったのか、β線が少し見えただけでした。湿気が高かったのが良くなかったらしいです。冷却には液体窒素を使ったのだけど、ぶくぶくいってるマイナス196℃以下の液体には子供心をくすぐられます。いろいろ凍らせたら楽しいに違いない、バッタとか。
 この霧箱の実験、はじめに思いついた人すごいなと思います。もしかして放射線とか気体の凝結についての知識を十分に持っていれば案外思いつけるものなのか。どちらにせよ僕には無理そうです。
 その後、サークルに顔を出して歌って、帰宅。物理の勉強をするつもりだったのだけど、体調優れないし早く寝ようかなと思います。まあお風呂に入ってから考えましょう、そうしよう。

 意味とか価値の話、話者の意志(それはその示す向きが幸せであるように定義されているものです)が前提とされているよなと思います。だから、意味に意味があるかとか、生きることに意味があるかとか、そういう問いは意味概念を成立させる諸要素について言及しているわけで、それはその前提に違反しているが故にナンセンスなのだと僕は考えています。でも、それを問うこと自体に意味が無いというわけではなく、僕はだから、答えのない問についてぐだぐだと考えている自分を良しとしている。自意識についてのあれこれは、そうはならないことを祈っているのだけど。

 眠いです。さっさと準備して、温かいお湯につかりましょう。