Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 2限は現代思想ニーチェをネタにテクストを読んで解釈を勉強する感じの講義です。講師の先生の皮肉屋っぷりが僕は割と好きなのですが、一対一で話せと言われればしり込みすると思います。怖い。ところで、今日もオリエンテイションのような流れで(多分受講者を減らすことを目的としている)、ニーチェが生きた時代の背景と、日本の翻訳文化の解説が主でした。実際にニーチェのテクストが渡されたのは授業の最後だったので、それはまだほとんど読んでいません。ちらっと見たところ僕の頭ではちっとも理解できなかったし。まあ来週までに何かしら考えてゆきましょう。
 4限の主題は割と知っていることメインだったので、適当に聞き流して帰宅。傘を忘れていったので、仕方なく濡れて帰りました。パーカのフードを被ってみたところ、案外に雨をしのげたので、アレは実用上の利点が本当はあるのだなあと思いました。髪が濡れないだけで体感的被濡度が結構違うのです。不審者ぽくはなるけども。
 台風が来ているようです。不謹慎だとは思いますが(この不謹慎という概念も、それが用いられる状況は知っていても、僕は実感を伴って理解できていないのではないか、と思います)、宮崎育ちで東京で経験する台風に物足りなさを感じていた僕としてはわくわくします。台風はわくわくするものなのです。そうでなくなったら、僕が大人になったということなのだ。たぶん。