Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 ひたすら数学の分からない一日でした。NNの学習は勾配法を用いて行われるので、その辺の数学をおさらいしておこうと思い、最近ちょっとずつ微分積分学の教科書を読んでいます。数学はもともと苦手だし大学の講義もろくに聞いていなかったから最初から読み始めたのですが、イプシロンデルタ論法が普通に分からない。やっている事自体は理解しているのですけど、それをそれぞれの定理の証明に適用しようとするととたんに何をやっているのかわからなくなるのです。どうしてそれで証明したことになるのか腑に落ちないまま証明を書き上げてはみるものの、そんなのでは間違った定理を証明しろと言われて証明してしまうような気がする。それから数学の人たちの問題設定の仕方も肌に合わない感じがあります。どうしてそれは当たり前に認めてしまうのに、こちらはわざわざ証明するのだろうと思うことが多々ある。例えば上限の存在定理を使って中間値の定理を示すとき、S=\{x \in [a,b]:f(x) < u \}という集合を持ってくるのだけれど、これはuより小さい数vについてはf(x)=vを満たすxがあることが前提されているように思われて、これは中間値の定理の言っていることなのではないの、とかなる。どうも僕がこれらの問題を認識する視座が誤っているぽいのですが、自分ではなかなかわかりません。やっぱり僕は(ことに数学に関して)頭が悪いです。いろいろ考えて試してみるのだけどちっとも良くならない。うーん、こういう議論は諦めて普通に道具として必要な部分だけ齧るのが僕には向いているぽいです。知識をブラックボックス化して扱うのはそれなりに出来るみたいだし。

 年賀状を書いたりしました。この伝統が果たしてきた役割はほとんどすべてSNSに取って代わられていると思うのだけれど実際のところどうなんだろうな。