Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0509

 6. Wandsを考えていたら半日が潰れてしまいました(まだ解けていない)。見方によっては一日潰れてしまったということもできるかもしれない。僕の頭は思考を保留にしておくことができない仕様になっていて、一度はじまってしまった考えごとは忘れてしまうか解決するかしない限り停止しないから、全体的なパフォーマンスが著しく下がるのです。注意欠陥にありがちな傾向ぽい。そういえばADHDの人間は直前に5分ほどの運動をすると認知機能テストのスコアが顕著に上がるという話を読んだことがあるけれど*1、これは運動の刺激がバックグラウンドタスクを終了させているということなのかもしれません。試してみよう。

 

 何気なしにWikipedia井筒俊彦を引いてみたら案の定天才的な人物で嘆息しました。三十数ヶ国語を自在に操るて。ただ著作を読む限りでは語学的才能はその能力の一側面に過ぎず、彼の本当のやばさは内観の能力にあるのではないかという気がします。非常に実践的な哲学をしている印象。

 西洋哲学が存在論からその思索の歩みをはじめたことは物質文明を前進させるという点では大きな利益をもたらしたけれども、ことに認識論の発展においては逆に障害になっているのではないかと思います。世界をほんとうに理解するためにはおそらく認識それ自体さえ記述可能な枠組みを用意する必要がある。

 本質主義的客観主義的自然科学と認識論的立場をどのように調和させるかということ。精神を記述する数学の出現。テッド・チャン的な妄想ですが。

 

 パターン認識の出発点は、そこにパターンがあるならばという仮定である。