Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0514

 「心と世界」ゼミ。今回はまったく理解できないまま終わってしまいました。そもそもマクダウェルの言う哲学的問題というものが僕にとってはほとんど問題に見えないあたりに断絶がある。それから概念空間や理由の空間といった概念もよくわからない。そのようなモデルによって何かが説明できるということ自体は認めよう。だがそれらはいったい"どこに"あるのか。そのモデルを採用すべき根拠はなにか。治療としての哲学を標榜しながら何も示さずただ提示するだけというのはあまりに患者を馬鹿にした態度だと思う。これは愚痴です。
 哲学は今まで頑強で揺るぎないものだと思われてきた足場をしばしばぐらつかせる。その足場を救おうとすることは一つのやり方だろう。だが逆に、その足場を徹底的に壊してしまうことによって不安を解消する方法もあるのではないかと僕は思う。マクダウェルの扱っている問題も多分、もう一段梯子を降りればそれを存立させている基盤ごと滅尽できるのだ。代償として人間の神聖さみたいなものもどこか吹き飛んでしまうかもしれないけれど、その程度安いものではないだろうか。

 夕方からバイト。あんまり案件がやって来なかったので今日は早めに終わりました。ここのとこずっとそういう状況が続いていて、長時間デスクワーク耐性がだいぶ下がっている気がします。ここで突然忙しくなったりしたら発狂するかもしれない。