Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0602

また、「Aに痛みがあるとき、あなたはそれを知ることはできないことは認める。あなたはただ推測できるだけだ」、と君が言うならば、君には「推測する」と「知る」という言葉の用法の違いにひそむ困難がわかっていないのだ。君が、知ることはできない、と言った時どんな不可能性を意味していたのか。他の人に金歯があるかどうか、その人が口を閉じているので知ることが出来ない、これに似たものを考えていたのではないか。そういう場合なら、実際には知らないとしても、それにもかかわらずそれを知っていると想像することはできる。実際はその歯を見ないにせよ、それを見たということは有意味である。別の言い方をするなら、彼の歯を見ないということは有意味であるゆえにそれが見えるということもまた有意味なのである。だが、他人に痛みがあるかどうか人は知ることが出来ないと君が認めた時、君が言いたかったのは、事実問題として人はそれを知らないということではなく、知っているということは意味をなさない(従って、知らないと言うことも無意味)ということだった筈だ。だからこの場合「推測する」とか「信じる」という言葉を君が使うとしても、それらを「知る」に対立する言葉としては使えないのである。だから、君が述べたことは、知ることは達することのできないゴールであり推測することで満足すべきだ、ということにはならない。このゲームにはゴールはないのである。

 独我論について述べた非常に優れた文章。

 我々は主語を抜きにして何かを語ることはできない。それが「私」に関する言及が意味をなさない理由(という言葉が正しいかどうかはわからないが)であると僕は思う。そうでないことが想定できないことについてなにか言うことはできない。僕でない僕という在り様は何らかの領域の外側にある。

 明日の試験に向けて勉強しています。前日記憶したはずのことをすでに忘れていて落胆している。まるで揮発性のメモリだ。