Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

Uのこと

 大学のベンチに腰掛けて、目の前にそびえるクスノキのひび割れた樹皮を眺めながら物思いにふけっていると、隣に誰かの座る気配があった。横目で確認するとUだった。目が合う。彼女の黒く静謐な瞳が僕を覗きこむ。宇宙みたいだ、と僕は思った。背景放射は3ケルヴィン。
 「なにについて考えていたの」
 裏拍を取るみたいな調子でUはつぶやいた。
 「自分はなにを考えているんだろうって考えていたんだ」
 冗談めかして僕は答えた。本当はもうちょっと別のことを考えていたんだけれど。
 「答えは出た?」
 「うん。自分はなにを考えているんだろうって考えているみたいだった」
 我ながら雑な会話だなあと反省しながらそんなふうに答えると、彼女は「そう」と言ってそれきり黙ってしまった。きっといまUの小さな頭のなかでは複雑精緻で広大な探索が展開されているのだろう。一人の世界に没入してゆくUを僕は放っておくことにした。こういう状態のUはどんな入力も受け付けないことを知っているから。すさまじいという形容にふさわしい集中力。いつか僕の見てないところで事故でも起こすんじゃないかとひやひやしているのだけど、案外どうして彼女はいまだ無事だ。不思議だな、と僕は思う。まあなにもないならそれでいいんだけどね。
 初夏の生ぬるい風が、Uの少し長めの黒髪をなびかせる。クスノキの葉葉が応答してざわめいている。僕と彼女の無限の距離が沈黙に満たされて、なんだかそのまま眠ってしまいたいような気持ちに襲われた。僕は死にたいのだろうかと、ふと考えた。
 「私なんてどこにもいないのね」
 彼女の言葉が沈黙をふるわせる。
 「そうだね」
 と僕は言った。
 なんでもない日常の、なんでもない昼下がりのこと。