Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

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 どこまでも遠くに行けるのはたぶん、どこにも行っていないからなのだ。

 先日、退社後に散歩していたときのこと、正規分布が特別な意味を持つのは、正規分布が独立同分布に従う確率変数を足すという操作における不動点みたいなものになってるからではないか、とふと気づいた。で検索してみたところ実際にそういうやり方で中心極限定理を証明できるらしい*1。どこからともなく現れた(ように僕には見える)数式が自然界において意味を持っている、ということの意味をこれまでずっと掴みそこねていたのだが、ようやく腑に落ちる解釈を与えることができてわりと嬉しかった。
 ここから先は僕の妄想。 知性の役割が外界を構造化することにあって「対象」がそれによって区分けされた領域に過ぎないのであれば、確率分布はアプリオリに存在するものではなく、むしろそうした分布が見出されるような形で知性は世界を見ているのだ、と考えるほうが自然だと思う。つまり確率分布は認知の影であり、対象の雛形である。で、われわれにとって世界が恒常的に見えているということは、知性が知覚情報を処理する変換が、その繰り返しの果てに何らかの落ち着き先を持つことを意味するはずである。そうでなければ、われわれの視界は、ちょっとした神経結合の揺らぎによって万華鏡のように変化してしまうだろう。してみると、われわれにとって意味を持つ分布が何らかの操作に対して不動点となりうることは、とても自然に思えるのである。

 学習理論に明るくないので間違ったことを言っているかもしれないが、渡辺先生の「人間が理解できる現象であるということと繰りこみ可能であることは、ほぼ同義かもしれません」*2という呟きは、上記の認識に少し重なるところがあるのではないかと思う。それから、ニューラルネットと平均場理論の話とかも関係してくる気がする。

 雑に書きなぐったせいで文の内容があまり明確ではなくなってしまった。気力が湧いたらより明晰な言葉で書き直したい。気力の湧く見込みはあまりない。