Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0304

 ここ数日、脳がわからない問題を延々考え続けるモードに入っていて気分が休まらない。モードから出るには「解けた!」という実感が大事なのだけど、世の中そんなにすっきり解ける問題ばかりではなく。

 僕は言語と世界の一致をただの偶然的なものと思っているから、言葉で考えて得た結論をもとに判断するということがいまいちできない。本当にそうか?という気持ちがずっとついてまわる。同じことは図像的思考の場合にも言えるはずだが、こちらはそうではなく、要は得手不得手の問題なのだと思う。ところで言葉と言葉の一致に関しては、これは言語に対するわれわれの要請なのだから、もう少し信用できるようなって損はないと思う。プログラム書いたりパズル解いたりがも少し楽になるはず。