Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0405

 カードキャプターさくらで、主人公のさくらがローラースケートで通学しているのは、自転車通学している雪兎さんの速度についていくためなのだ(だって通学以外でローラースケート使っていないでしょう)、という主張を聞いて、なんといえばいいのかな、「人間には意図がある」ということの意味が突然に腑に落ちた。僕はこれまでずっと単に楽しいからローラースケートで通学してるんだと思っていた。僕がローラースケートで通学するとしたら楽しさ以上の理由はないだろう、僕はスケートができないが、うまく滑れたら爽快だろうなと思っている。だがこの少女漫画においては、想い人の速度についていくという主人公の意図が暗黙に想定されており、それがあえて語られるべきものともみなされていない、という事実に触れて、人間の奥行きというかいじらしさというか、そういうものの一端を掴んだような気がしたのでした。たぶんこの奥行きを詩情と呼ぶのでしょう。複雑な制約のなかでおっかなびっくりしかし勇気をもってなされる小さな最適化の輝き。それがほとんど理解できない僕は詩から追放されているのだと思う。僕には意図などなくて、ただそうするだけだから。人間はむつかしいな。