Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0916-0918(インド12〜14日目)

 ブッダガヤでのんびりしています。ここはバラナシより涼しく、湿度も低いので居心地が良いです。その全貌を僕が初めて把握できた町でもある。あまり騒がしくもなく、強引な客引きも少ない。ただ、やたらと日本語喋れる人が多いです。こんにちは、元気?と道行く人々に話しかけられると頭が勝手に反応してしまうので、面倒な会話を強いられることになる。まあしばらくするとそれにも慣れて、無視できるようになってきたのだけど。ここでの僕はできるだけ人との関わりを避けて、もっぱら瞑想や読書をして過ごしています。

 ブッダガヤの中心にマハーボディ寺院があります。ブッダが悟りを開いたと言われる場所に建っている、石造りの大きな寺院で、中には仏像が安置されています。寺院の周囲には正方形の石造りの小道と大きな菩提樹があり、その木陰に沢山のお坊さんが座ったり歩いたり念仏を唱えたりしています。静かで涼しく、人に話しかけられることも少ないので、僕のお気に入りの場所です。
 マハーボディ寺院一帯の広場に入るためにはボディチェックが必要で、携帯等の持ち込みもできません。クロークに荷物や靴を預けて中に入ります。寺院の周囲には瞑想用の庭(20ルピーかかる割に環境が良くないので一度しか入っていません)や、よく分からない置物や小径があります。金髪の外国人が熱心に経をよんでいたり小銃を抱えた警備員が闊歩していたりでなかなか楽しい。

 ここ三日間の時系列があやふやなので、適当に起こったことや感じたことを書きます。
 まず瞑想のこと。ブッダガヤは長閑で暇が有り余っていたので、プチ修行でもしてみるかとマハーボディ寺院の菩提樹の下で瞑想してみることにしてみました。僕がやったのはヴィパッサナーと呼ばれる瞑想の仕方で、これは自分の身体感覚や心の状態を細かに観察して心に平穏を得るというものです。その性質上、歩きながらでも可能であり、実際それらしき歩き方をしているお坊さんを何人も見たのですが、僕は暑かったので木陰に座ってやりました。もちろんはじめのうちはなかなか続きません。けれども二日目辺りからは数時間続けられるようになってきて、これが案外楽しいのです。この瞑想法は自分の精神状態の本質に気付くことによって、それに意識的に介入する(この辺の堂々巡り感についてはいろいろと書きたいことはあるのですがまた今度)ことを機能として持っていて、だからこれによって瞑想の止めたさを潰してしまうことを覚えてしまえば、あとは結構簡単に続くのだ。まあ暑さについてはどうしようもなくて、昼間はレストランで涼んでいたのだけど。
 風邪が悪化したので薬屋にゆきました。日本語の話せるおじさんのやっている薬局で、風邪を引いたというと薬をくれました。結構安い。錠剤は非常に大きくて飲みにくかったのだけど、それは製造技術によるものなのか、単にその薬がそうであるだけなのかはわかりません。毎食後に苦労して飲み続けたのですが、その薬が効いたのか、翌日にはだいぶ回復していました。悪い病気じゃなくてよかった。ついでにそのおじさん、日本から持ってきたもので売りたいものがあれば買い取るなどと言っていたのだけど、何だったんだろう。ちなみに買い取りってちょっとRPG感あるんだけど、これは僕だけかな。
 マハーボディ寺院でいつものように涼んでいると、年の若い坊さんが話しかけてきました。枯れた菩提樹の葉っぱを渡してきて、何だこいつと話半分に彼の聞いていると寄付目的でした。この手のインド人は、自分と日本とのつながりを主張すれば日本人は自分を信用してくれると信じているらしく(どういう理屈なのか僕には今でもさっぱりわかりません)、彼もその例に漏れず、僕は東京や名古屋に(頑張って暗記したろう地名を列挙するのもお約束)に友達がいて云々言います。毎度ワンパターン過ぎてつまらないので、少し意地悪したくなって、僕は日本には全然友達がいないけどねと寂しそうに言うと、可哀想なものを見るような目をされました。なんか負けた気がする。
 ブッダガヤの隣、スジャータ村を散歩していると、自転車に乗った子供に話しかけられました。よく見ると昨日も僕に話しかけてきた子供です。彼は自分が勉強している学校が近くにあるのだと熱心に誘うので、どうせ寄付目的だろうと思いつつ、暇つぶしについて行きました。そこの先生も出迎えてくれて、子供たちと少し遊んだり、算数を教えたり。そのうちに教師は、この学校は寄付のみで運営されているのだとか、100人以上の孤児の面倒を見ているのだとか、素晴らしい日本人がたくさんお金を恵んでくれてそれで新校舎を作っているのだとかそれっぽいことを言い出します。いつの間にか僕の手には名前と寄付金の額を書く紙が手渡されていて、何だこれとなりました。ちなみに寄付をすると校舎の壁に名前を彫ってもらえるらしいです、やめてくれよ見苦しい。 まあ予想は出来ていたのだけど、手口がシステマティック過ぎます。これで今まで何人の旅行者に善意を強制してきたのだろう。少し腹が立ったので、僕はあなたの退路を塞いでから善意を迫るやり方が嫌いだし、それで金を出してしまいあなた方をつけ上がらせる気弱な日本人も嫌いなので、一銭も払いませんと言いのこして逃げました。追っては来なかったので悪い人ではなかったのでしょう。子供のために働いているわけだし。しかし、寄付を得るために心理的な負荷をかけてくるやり方は気に食わなかったし、そのような方法が機能している現状への憤りもあって、僕は何も与えずに逃げたのでした。彼らは生きるのに必死なだけなのかもしれませんが、それは僕には関係ない。
 そんなこんなで、時々小規模なイベントが発生したりもしましたが、基本的にはゆったりとした時間を送りました。一つの街での滞在期間が 旅の後半になるに従って延びていて、やっとインドの時間の流れに慣れてきたかなという感じがする。やはり先に予定なんて立てず、もっと適当に回ればよかったなと思います。そのほうがインドの雰囲気をもっと深く感じることができたに違いない。
 明日の夕方にはガヤへ戻り、寝台列車に乗ってカルカッタへ向かいます。またインドの都会の喧騒が戻ってくるわけです。今のうちに元気をためておかねば。