Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0919(インド15日目)

 昨日、もうこれ以上書くべきイベントもないだろうと日記を書いて、ホテルのそばの定食屋で晩ご飯を食べていると、一人のインド人が話しかけてきました。彼の名前はタカシといい(というのも、彼が日本風の名前が欲しいと言うので、僕の名前の一文字をあげたのです)、隣のスジャータ村に住んでいると言います。彼は片言ながら日本語を話すことができ、しかもそれはここ数ヶ月の独学の成果だというのです。割とすごい。ついでに彼は仏教文化や瞑想法などについても造詣が深かったので、その辺りのことで大いに盛り上がりました。また、互いの人生観について意見を交換したり。途中タカシの友人の日本のサブカルに理解のある青年が加わったりして、なかなか楽しかったです。
 会話をしていて感じたのですが、タカシは利他行為、あるいは社会に貢献することをそのまま自分の幸福に変換する回路を頭に備えている類の人間であるようでした。彼もまたNPOとして学校の運営などしているようだし、スジャータ村に人とお金を呼び込むために、ゲストハウスを建設したり植林したりと色々やっているようです。彼は、自分の為だけに生きる事は虚しいと言い、社会を形成することがヒトを人たらしめるのだと言いました。確かに僕も、過ぎた個人主義は虚無的な方向へ向かいがちであること、社会を作ることが人の強みであることに賛成はしますが、しかし社会というものだって人が作るものである以上同質の虚しさを抱えているし、利他性を根拠なく賛美することはその虚しさから目を逸らしているに過ぎない気がするので、そのへんの思想には少し苦手なものを感じます。僕はニュートラルでスタンドアロンな知性を目指しているからな。とはいえ彼が面白い人物であることには変わりなく、スジャータ村を案内してくれるとも言うので、翌日また同じレストランで合うことを約束し、ホテルに戻って眠りました。
 そして今日。待ち合わせのレストランへゆくと、彼はもうそこにいました。適当に朝食を取り、彼のバイクに乗っけてもらってスジャータ村へ。最初に、ブッダガヤの人々がトトロの木と呼ぶ大きなガジュマルの木に案内してもらいました。とある日本人旅行者が、となりのトトロに出てくるクスノキに例えてそう呼んだのが定着したようです。樹齢数百年というだけになかなか大きく、広い木陰を作っていました。久しぶりに木登りなんてしてみて、年を取ると無茶がやれなくなるのだなあと思い知ったり。それから、シッダールタが修行していたという山を眺めたり、植えている木を見せてもらったりしながら、タカシの友人の農家の家へ。スジャータ特産のお茶をご馳走になるなどしました。なかなか美味しかったので、少し買っておみやげに。
 その後はタカシの家に招かれて、タカシに日本語を教えていました。タカシが英語で文を述べるので、それに適当な日本語表現を返すのですが、これが案外むずかしい。僕の教えた表現を今後他人が使うのだと思うと、試験の和訳よりも気を使います。特に対応概念が日本語にないときなど面倒くさい。断った上で代用表現を探すのですが、なかなかうまい言葉が見つからず、サピア・ウォーフの神話を信じたくなります。言語が人の世界認識を支配するのだというアレ。同時に、僕もタカシからヒンディー語を習いました。彼が日本語で書かれたヒンディー語教本を持っていたので(前に来た日本人が置いていったらしい(しかし彼女の来た時期を考えるとタカシはもう少し長く日本語を勉強してることになる気がする(見栄をはったのかしら)))それを読んで簡単な表現を眺めます。ヒンディー語はあまり構造化されてない言語ぽくて、使いやすくはあるけども覚えにくい感じでした。文法的には、日本語に通じるものがある。それから、タカシの持っていた日本語教本のチェックも頼まれたのですが、これがなかなか面白い。まず表記のミスがかなりあります。ひらがなやカタカナは表音文字で、一文字に一つの音が対応しているから、そのまま書けばいいだろうと思っていたのだけど、よく考えてみれば結構文字と発音は離れているわけです。おおおかえちぜん、とかさ。こういうのってどこで僕らは覚えたんだろう。漢字の習得がその助けになっている気はする。あと、英語を直訳したせいで凄く妙な表現になっているもの。これは僕が英語を書く際にもきっとやってしまっていることなので、他人のふり見て我がふり直さねばなりません。やはり語ではなくセンテンスのレベルで言語を理解していく必要があるなあと、これはこの旅行を通しての感想でもあるのですが思ったのでした。それから、日本語の文法解説を他言語で読むのって少し楽しい。
 晩ご飯は僕のためにかなり豪華なものを用意してくれました。(僕も少し材料費を出したけど) チキンカレーみたいなやつ。これはかなり美味しくて、しかもタカシのお母さんがどんどんおかわりをくれるので、つい食べ過ぎてしまいました。インドでお腹いっぱい食べたのはこれが初めてではないかな。ちなみに、右手を使ってご飯を食べたのもこれが初めてで、今日はなんというかインドの庶民の生活に触れられた感じがありました。貴重な体験である。
 その後、タカシにガヤ駅まで送ってもらい、また会いに来ることを約束して、そこで彼とは別れました。ガイドのお礼もかねて、ほんの少しだけども寄付を添えて。彼が僕にスジャータ村の現状をガイドしてくれた目的には、もちろん協力者を募るということも含まれていたはずです。そのやり方は本質的には先日の学校の教師と同じであり、そこには程度の差しかない。けれども思い返せば人間同士の関係なんてだいたいそんなもので、それならば感じるままに従えば良いのだと開き直ったのでした。形式的に生きよう。

 案の定電車は遅れました。待っている間に大雨が降り、それに伴う落雷で何度も駅が停電しました。なんて脆弱な電気系統なのだ。
 約一時間遅れでやって来た電車に乗り込み、三段ベッドの一番上に寝っ転がると一日の疲れがどっと出てきました。さっさと眠りましょう。明日の朝にはカルカッタへ到着しているはずです。