Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0214

 すべて思想というものは自分を騙すためにあるのだ、という思想。言語を手にして以来、われわれは言葉と現実のギャップを埋めようと躍起になっている。だがそのギャップとはそもそも言語に内在していたのではないか?「メタ」という概念の功罪。

 悟りとは、「メタ」など存在しないことを見て取ることだ、といえるかもしれない、とか。

 言語的理解→身体的慣れの順序で学ぶ人と、その逆で学ぶ人がいて、僕はたぶん後者だ、ということを考えていました。前者が苦手なのは完璧主義者だからか。