Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0801

 今日は髪を切って証明写真をとるつもりだったのですが、グダグダしていると時間がなくなってしまいました。やるべきことを理解しながら、ぎりぎりまで手をつけないのは僕の悪いところです。明日の予定がより面倒な事になってしまった。

 夕方からバイト。今日は前回よりも早く仕事が終わってしまいました。仕事量が少ないことはよくあるのだけど、早く全てが片付くことは稀なのです。なにせ、問題受付終了間際に問題がたくさんやってくるのが常だから。やっぱり世間が夏休みに入り、学校や予備校の終了時刻に影響を受けなくなったからかな。

 手癖で反省しています。あるいは、馬鹿の一つ覚え的に。主を失った機械が、生前の主の命令にずっと従い続けるように、僕の言葉は僕の情動を抜きにして動作するようになってしまった。問題を把握して(しかもそれは本当に自分の痛い所ではないのだ)、それを書き出しただけでなにかやった気になるのはやめましょう。馬鹿みたいだから。それから、自分の欠点が本当に悲惨なものであることを気持ちとして意識し続けねばなりません。恐怖にすら駆動されなくなったら、僕の人生はどうしようもなくなってしまうのだから。僕はもっとつらくなければならないはずなのだ、忘れるな。
 僕が心の底で自分を病気であることにしたがるのは、それで赦されたいからではなくて、自分の秀でた部分の由来を欠点に求めることで、それを失わない安心を得ようとしているからなのだということに思い当たりました。その病が、不治のものである不幸に賭けているのです、なんの根拠もなく。本当に呆れた。こんな、ただ言えてしまっただけの陳腐な理屈に縋るほどに、僕は落ちぶれてしまったのです。喪失を恐れるあまり、成長することをやめてしまっている。僕は救いようがないほど幼稚で、その幼稚さすら自己正当化の道具にしかねない。ほら僕はこんなにダメなやつだから、諦めたって構わないのだ、僕の諦めに人は同情するだろう、なぜならこれは仕方のないことだからね、と、未だにこんなことを考えている。そしてしまいには、自己言及の構造に到達不可能な点を見出して、それを撫でさすって悦に入るのです。はあ。
 問題と、その解決に向けての具体的な対処のみがある事を、肝に銘じましょう。僕はもっと自分を恥じるべきだ。