Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0811

 合宿が終わりました。結構身体的につらかったけどもそこそこに面白かった気もする。最後の日の夜は演芸会で、様々な人々が組織したカルテットの演奏を聞いたり参加したり(僕はあまりに多い筑駒出身の団員に異議申し立てる歌を歌ったりした)、その後のんびりお話をしたりしました。
 ときどき、周囲の人達の積極性というか何かを楽しむ気持ちに劣等感を覚えて、悲しい気持ちになることも。いや、僕もきっとうまく人と混じってやれば楽しいし充実も感じるはずなのです。けれども僕は複数の物事を決まった時間の中でやりくりするのが壊滅的に出来ないから、結局何か1つ2つにちょろっと顔を出して終わりということになってしまう。いやこれも言い訳です。ただの駄目人間に過ぎないのに、自分の欠陥を僕そのものから切り離す事でどうにか"みんな"の側につこうと頑張っている。そういえば僕らの代の指揮者が僕について、興味のあることとないことで発揮する能力が全く違うということを(少し否定的な意味合いで)言っていたらしいことを聞きました。それは僕が人から良く言われることだし、僕自身たまに感じることなのだけども、これはもしかすると、興味があるから僕は頑張れるのではなく、むしろ興味を感じた際の僕の姿勢、つまり、それ一つのみについて考えればよいと他を切って捨てられた時の精神的軽さが要因としてあるのかもしれないな、とか。そうであるとして、どうやって物事と付き合ってゆくべきかはまだよく分からないのですが、まずは精神の状態をうまく切り替える訓練をするのが良いように思います。
 それから、いろんな人達の人間関係について聞かされて(僕は本当にそういうこと気付けないのです、教わらない限り)、驚いたり面白がったりもしました。人間とはよく分からない生き物だ。(はて僕は何者だろう)
 朝までぐだぐだやって、バスで新宿まで帰ってきました。落雷で京王線が止まっていてうちに帰るのに難儀しましたが、なんとか復旧してくれてなにより。しかし雷の一発で6時間も運転見合せってどうなのか。雷のほうがすごかったのかしら。
 帰ったらそのまま寝てしまって、朝早く起きてこれを書いています。合宿中が12時就寝6時半起床だったので、その名残です。なんとかこれを維持したいと思うけども。明日明後日にはいつもの夜型生活に戻っているでしょう。僕はそういう生き物だ。
 適当に書き始めたところめちゃくちゃな文章になりました。時間的あるいは論理的な展開を無視するとこうなります。日記の文章がなんとなく良い感じに書けてしまうのは、前者の性質が強いからでしょう。時系列的に並んでいるものを筋の通った文章に再構成するのは難しいのです。少なくとも僕の頭では。
 今日はパスポートを受け取りに行って、それからインドのビザを申請にゆきましょう。久しぶりに勉強もしたい。記号論理学講義を読み進めようかな。