Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

0809

 ある人間の生が幸福なものであるかどうかは、彼がどのような世界観に生きているかに依存する。他人から見れば不幸である人が、当人の世界観において幸福であることはありうる。ここで世界観とは、その人が世界をどのように構造化し、その要素にどのような感情価を与えるか、ということの総体であるとする。これは当然、その人の行動指針に関係するわけで、ゆえに、ある世界観に生きる人がその世界観の命ずるところに従った結果(その世界観における)幸福をつかむ場合があるし、また不幸になる場合もある。前者のような世界観を自己充足的な世界観と呼ぶことにしたい。自己充足的な世界観にある人は、持続可能な幸福の中に生きることができる。ここで注意しておかねばらならないことは、世界観の自己充足性は時間的な概念であるということだ。世界観はそれに従った日々の営みの帰結として必然的に変化してゆくものであり、ある瞬間において自己充足的であった世界観が永久にそうあり続ける保証はない。また世界観が強固に固定されていたとして、世界のほうも変化する。ある瞬間に限れば、”発狂”した世界観がそれ自身を幸福とみなすことはありうる。しかしたいていの場合それは長続きしないのであって、結局のところ、幸福の積分値を最大化するにあたっては、世界との折り合いを考慮に入れる必要がある。もちろんここでの「折り合い」の良し悪しも世界観に依存するものである。

 概念を定義してみたところで、次の問題は、世界観が自己充足的である条件は何か、ということである。

 気が向いたら続きを考える。