Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

臆病者の国

参院選に立候補していた東大教授の安冨歩さんが「臆病な人に国政を任せてはいけない」と主張しているのを読んだ。幼い頃から親や周囲の期待を背負い「成功しない自分に価値はない」と心底信じ込んだ人たちは、たしかに優秀な傾向があるし、社会的に成功する…

0715

「練習」によって出来ないことが出来るようになるという経験を、僕は最近までしたことがなかった。出来ることは最初から出来たし、出来ないことはいつまでも出来ないままだった。それは僕が練習という行為について間違った認識を持っていたからなのだという…

0626

意味という言葉を知る前から僕らは言葉でなにかを意味していた。だからきっと「意味」は〈意味〉ではなく、ただ反省が見せる一つの幻影に過ぎないのであろう。だが同時に僕らは「意味」という語でなにかを〈意味〉している、これもまた確かなことだ。「超越…

0531

色についての所感。 青。青は暗がりにぼんやり佇んでいるのが綺麗だと思う。黒に限りなく近づきつつしかし決して同化されない異質さに青の真髄がある。 赤。赤は集団・集合の色だ。紅色、朱色、橙、炎の色、血の色、ワインの色、煉瓦色、それぞれ微妙に異な…

1229

いろいろなことを考えてはいるのだが、他人に読めるような文章として書き下す余裕がない。まだ自分の中で整理がついていないというのもあるし、そもそも読み手を想定して書くことは僕にとって相当の熱量を要する作業である。労働をしているとそんな余力は残…

1115

どこまでも遠くに行けるのはたぶん、どこにも行っていないからなのだ。 先日、退社後に散歩していたときのこと、正規分布が特別な意味を持つのは、正規分布が独立同分布に従う確率変数を足すという操作における不動点みたいなものになってるからではないか、…

1103

折れた骨が折れた形でくっついて、また折れて。繰り返して人は異形の怪物になっていく。異形の怪物であるところの僕としては工業製品がうらやましい。 矢部嵩『魔女の子供はやってこない』は僕にとって新鮮な驚きだった。こんなふうに書いてもいいんだ、とい…

0930

忙しい日々が続いています。忙しいのは僕が馬鹿だからで、もう少し賢くならねばならない。やることが多いときこそ一歩退いて全体を眺めてみること。 およそ社会形態というものは、自然が人間に与える影響・暴力という不可避の矢印を、社会システムが媒介する…

0816

論理的推論は、紙の上に書かれたいくつかの線分を、あるルールに則って延長していくことに似ている。延長は証明のステップであり、線の交わりは帰結である。論理的プラトン主義者は言うだろう。はじめの線分と延長のルールが与えられれば、それ以降に描かれ…

0710

先日断食をして元気になったことをきっかけに、もしかして自分はもっと食事量を落としたほうが調子が出るのではないかと思いだし、しばらくあまり食べない生活を続けていたのだが、普通に調子を崩した。ので食事量はもとに戻した。食べないと人は生きられな…

0708

真理は社会性の産物であり、懐疑は孤独の産物である。人は独りで約束を交わすことはできない。 三角関数などからサンプリングした点をモデルで補完して、ほらパラメタが多いとオーバーフィットしましたね、みたいなことを言う解説がたまにあるけれど、あれは…

0608

いま自分は何も考えることが出来ていない、という事実にふと気づく瞬間があり、そういう瞬間が最近増えている。よいことだと思う。頭の中でイメージをこねくり回したり言葉を連ねたりしているとなにかを考えている気になってしまうのだが、そうした実感と有…

0526

ここしばらくずっと身体(脳含む)の調子が悪かったのだが、先日ふと思い立って一日断食をしてみたところ面白いほど調子が回復して能力が300%(当社比)くらいになった。栄養が不足したことによって狩猟モードがオンになったか、あるいは胃腸に休息を与えた…

0518

自分の意識は、自分が語ることを聞くことではなく、自分が見ているものを見ることの上にあるなあと思った。 C.S.パースは、数学のすごさはその確実性・無謬性にあるのではなく(実際、人はしばしば演繹を間違える)、たとえ誤謬が発生したとしてもそれをすぐ…

0513

問いとはなんなのだろうかと考えていた。内省してみると、問いにともなう内的感覚は焦燥に似ている。何をしたらよいかわからない居心地の悪さ。たとえば「問いとはなんだろう」と口にしてみる。そのあとに如何なる言葉を続けるべきか直ちにはわからない。わ…

0425

先日映画館でタイタニックを見た。「午前十時の映画祭」でリバイバル上映されていたのである。現実と虚構の接続がたいへん見事で、お話としても非常によく出来ていると感じだけれども、人間ドラマとしてはそれほど心動かされはしなかった。いちばん心に残っ…

0418

豊かな人生を送りたいと思う。ここでいう豊かさというのは、豊富な教養とか丁寧な食生活とか適度な運動とかそういったものの集積のことではなく、退屈な時間を持て余してノートの片隅に落書きをはじめるような、そういう隙間に満ちた生活のことである。にゃ…

0308

ここ半年くらいずっと目覚めていたような気がしています。あまりに規則正しく毎日が過ぎてゆくので、意識がその継ぎ目を忘れてしまったみたい。起きたいときに起き、眠りたいときに眠る。人間らしく生きるということはつまりそういうことだと思うのですが、…

0227

意志の力は、すべきことをするためではなく、すべきでないことをしないために用いるべきだ、ということが分かってきた。それができれば、あとは水が低きに向かって流れてゆくように、事態は目標へ向けて転がってゆく。

0226

僕は「ほんとうの」よりもむしろ「結局のところ」が知りたいのだな、と思った。 引っ越しをしました。長いあいだ貼っていた絆創膏を引剥したときみたいな痛みがあります。この痛みもまた時間とともに癒えてゆくのでしょう。そして癒えてしまった傷跡を見て一…

0206

自分の関心を大事にするのと同じくらい、自分の無関心を大事にしなくてはならない。いろいろなことに興味を抱き、退屈を趣味で埋めてしまうような人間になってはいけない。つまり自分の心に嘘をついてはいけない。 物事を相対化するのは、実はとてもむつかし…

0204

「罪人である自分」に対する憐憫ほど醜悪なものはない。気をつけること。 この肉体は自然法則に縛られた物質の振る舞いに過ぎないというのに、どうしてそれが〈私〉であることが可能なのか。〈痛み〉や〈赤さ〉を擁しうるのか。15年もの間、僕はこの問いに駆…

0203

今朝、「朝っぽい曲をかけて」となんとなしにGoogle Homeに頼むと、ジムノペディ第一番が流れはじめた。たしかに朝っぽいが、しかしこれはすべてが過去になったあとの朝という雰囲気である。闘いに背を向けて得た平穏、戦線復帰への助走。起承転結でいうと転…

0125

『ONCE』と題された谷川俊太郎の初期の作品を集めたアンソロジーを読んでいる。彼の十代の頃の文章が載っていて、まさに才能!という感じなのだが、そこにはやはり十代特有の青臭さが滲んでいてなんだか安心したりする。ここでいう青臭さとは未確立な表現様…

0121

ウィトゲンシュタインが試みたのはつまりこういうことだ。対象とその記述という二項対立を統合的に解消すること。それらが実は同じ階梯にあることを示すこと。呻き声が〈痛み〉を記述しているのではなく、呻き声がまさに痛みであり、記述される「痛みそのも…

1231

文章を読むと、僕の頭を使って、他人が考えて他人が納得する。そいつが出ていくとなにも残らない。そいつが頭のなかにいるうちにそいつと話をしないといけない。 理解するということは、ある状況における適切な振る舞いが分かるということで、ここでいう適切…

1229

人間が「決断」をするのは、その選択の結末が予測できない場合であるということに気がついた。期待される効用が明白である場合には、我々は選ばない。ただ自然にそうするだけのことである。我々が選択と決断を迫られるのは、そこに勾配が見えないときだ。有…

1222

寒い屋外で温かいブラックコーヒーを飲みながら明治の板チョコを齧るのが好きです。謎の幸福感がある。こういう組合せをもっと探っていきたい。 アイデンティティは自分自身の振る舞いや能力についてのモデルみたいなものだと思う。たとえば地面に出来た幅一…

1217

コミュニケーション能力を軽んじる人たち、コミュニケーションしないならそれはそれでべつに良いと思うんだけど、そういう人たちはたいてい話をすること自体は非常に好きで、延々と自分の好きな話題を喋り続けていたりする。コミュニケーションしないでほし…

1126

世界の縁でランダムウォーク。 たとえばx>0という条件が与えられたときに「ああxは-1ではないんだな」と思うためには、単なる論理的思考とは別の飛躍――つまり「x=-1となることがあるか?」という問いを立てること――が必要になる。思考においてもっとも重要な…