Redundanz

僕の言葉は、人と話をするためにあるんじゃない。

哲学探究を読む(15)

何かを「自覚的に」知るということの意味は、それを可能性の空間のなかに位置付けることである。それゆえ、自覚することは人に選択を迫る。理由と意志を持つことを要求する。自由と引き換えの重責を避けるために、人類は無自覚な知の形式を維持・発展させて…

哲学探究を読む(14)

自分の完璧主義と付き合っていくうえで重要なのは、完全性への拘りを薄めようと努力することではなく、むしろ、それぞれの行為が「一個の作品」であるという認識を捨てることなのではないかと思った。もっとこう、歯磨きするような気持ちで。 ここのところ労…

哲学探究を読む(13)

鬼界彰夫訳『哲学探究』が届いたので目を通していた。日本語がこなれていて全集の文体に慣れ親しんだ者としては違和感があるけれど(自分の中ではあれがウィトゲンシュタインの「肉声」になってしまっている)、何箇所か比較してみたところでは全集よりも上…

1115

反実在論者が「われわれはある『基準』に従って世界を分節化しているのに過ぎない」と言うとき、基準という語の立ち位置が問題になる。もはや実在論的に基準に従うことはできないのだから、ただ「基準に従ってみせる」ことしかできない。それになんの意味が…

哲学探究を読む(12)

『哲学探究』の新しい邦訳が出たことを知り早速注文した。訳者は鬼界彰夫。訳が良ければ全集版からそちらに乗り換えるかもしれない。革新的なことに電子書籍版もあるらしい。しかしまあ、哲学書は紙がいいよな、書き込めるし。 それはそれとして、野矢茂樹訳…

哲学探究を読む(11)

僕は興味のないことをするのがたぶん普通の人よりも苦手だが、その苦手さをより詳細に述べるなら、興味のないことに対する徹底的な自発性の欠如ということになるだろう。自分はわりと器用な人間なので、興味のないことであっても一定の範囲内であれば反射的…

哲学探究を読む(10)

今回はまとめて第11~14節。これらの節では、前回も引用したが、以下の主張を補強するためのいくつかの例え話が語られる。 「言語に含まれる一つ一つの語は何かを表記している」とわれわれが言うとき、このことによって、さしあたりまったく何ごとも言わ…

1016

赤さを認識しているときの脳の(あるいは世界の)状態がそのまま〈赤さ〉であるといってなにがいけないのか。どうして僕らは脳の状態と私的感覚を区別するのか。これはおそらく、われわれの言語活動に根差した問題であって、われわれが生活の前提としている…

哲学探究を読む(9)

また前回から日が開いてしまった。何度か筆を取ってはみたものの、第10節の内容について納得のいく解釈が得られず、毎回途中で放擲してしまっていたのだ。実のところ、第10節が理解できないというそれは現在進行形の問題なのだが、このままだと悩んでい…

1006

自由とは何かという問いは途方もなく難しいが、視点を変えて、人が不自由を感ずるのはどのような場合かを考えてみると、こちらについては比較的簡単に結論を出すことができて、それは欲求が抑圧されている場合であると思う。とくに、叶えられて然るべきと思…

哲学探究を読む(8)

一週間以上空いてしまった。よくない。とにかく第10節。 それでは、この言語の語は何を表記しているのか。――その慣用のされ方においてでないとすれば、それは何を表記し、その何かはどのようにして示されるのだろうか。〔語の〕慣用については、われわれは…

哲学探究を読む(7)

第8節では第2節の言語が拡張される。追加される語は数詞 a, b, c, …… および「そこへ」「これ」である。また助手には一冊の色彩標本が渡される。など。すると「d―石板―そこへ」や「これ―そこへ」などの文が言えるようになる。 続く第9節では、第8節の言…

哲学探究を読む(6)

いまさらだが1節ずつ読んでいく方式だとその都度意識が寸断され議論の全体像を追いづらくなってしまう。この辺で一度流れを整理しておくことにする。 まずアウグスティヌス的な言語観が提示される。この言語観においては、言語とは意思疎通の一つのシステム…

哲学探究を読む(5)

ここ数日の間に決めねばらならないことがいくつかあり、その決断に精神のリソースを消費してしまっていた。だいぶ時間があいてしまったが、第6節。 言語獲得以前の子供は、言葉を理解しないので、言葉による説明を介して言葉を学ぶということはもちろんでき…

哲学探究を読む(4)

昨日よりは元気になったとはいえ、頭の働きが鈍っている。思考がなかなか形を成さない。こういうときは、意識的に一度頭を真空状態にしてしまうのがよいことを知っている。気圧差に導かれて、空っぽになった頭の中にぽつぽつと考えがわいてくる。これをゆっ…

哲学探究を読む(3)

どうも今日は一日中体調が悪かった。全身の神経がひりついている感じ。それはさておき第3節。 前節では、一つの小さな言語が提示され、これを「完全で原初的な言語」と考えてみよう、という提言で終わっていた。だが、ここで注意しておかねばならないことが…

哲学探究を読む(2)

早起き――といっても8時起床だけれど――に成功した。残念ながらすがすがしい目覚めとはいかなかったけれども。 というわけで第2節。 意味という、かの哲学的な概念は、言語の働きかたに関する一つの原初的な観念のうちに安住している。しかし、それはわれわ…

哲学探究を読む(1)

最近めっきり衰えてしまった読書筋を鍛えなおすために、『哲学探究』を再読して読書記録を書いていくことにした。読書筋とは書いてあることを書いてあるままに読もうとするさいに使われる筋肉のことである。これが衰えるとどうなるかというと、何を読んでも…

0809

ある人間の生が幸福なものであるかどうかは、彼がどのような世界観に生きているかに依存する。他人から見れば不幸である人が、当人の世界観において幸福であることはありうる。ここで世界観とは、その人が世界をどのように構造化し、その要素にどのような感…

0719

退屈を友とせよ。 駅のホームでカラスがなにか丸いものをくわえているのを見た。よく見るとそれは小型の鳥の卵のようで、どこぞの誰かの巣からかっさらってきたのだろう。じっと眺めていると、カラスはそれを柱の根本に立てかけて固定し、それから嘴で器用に…

0711

いろいろなことをすぐに忘れてしまう。忘却の荒波は概念の伽藍を削り取っていく。しかしその浸食作用に耐えることのできた構造は、強固であるばかりか、その浸食プロセス自体を我がものとし、自身を洗練させていく。それはどこまでも宇宙的な営みだ。美しく…

0707

昨日書いた話をいま一度整理しておく。f(x)=2x+3 と関数を定義する際の x は、 f が引数に対しどのような操作を加えるかを示すための仮の存在であって、それゆえ x を用いて関数定義を行ったからといって f が x の関数であるということにはならない。したが…

0706

数式の構文論?について考えていた。f(x)=2x+3 という関数定義をプログラミング言語的に捉えると、 x は argument ぽく見える。とすると、この x は f の定義の外側では意味を持たないはずで、それならたとえば「関数 f を x で微分する」という表現はナンセ…

0701

人はときに歴史の IF を考える。第二次世界大戦で枢軸国が勝利していたら、とか。こうした可能性検討の妥当性は、予測に用いた世界のモデルがいかであったかに依存している。裏を返せば、予測モデルを評価するために IF を考えることには意味がない、換言す…

0621

箱の中にボールを2つ、続いて3つ入れる。箱の中のボールの数は5つになっているはずだが、実は箱の底に穴が開いていてボールが1つこぼれているかもしれないし、あるいは自分の知らない間に誰かが1つ加えているかもしれない。箱の中のボールが実際には何…

0606

僕はラムレーズン味のアイスが好きだが、残念なことにアイスは食べるとなくなってしまう。これは経験的な事実だが、しかし一方で、アイスは食べるとなくならなければならない、ということが宇宙的に決まっている(つまり真理である)わけではない。アイスは…

0605

幸福に生きるということは、その世界観に生きることが幸福であるような世界観に生きることである。 ニューラルネットワークをただの経験を蓄積する箱と考えるのはもったいない。DNN と SGD の組み合わせには、広大な探索空間の中から(「人間にとって」とい…

Jの系譜

最近フランス系思想家の本に縁がある。アルベール・カミュ、ジャック・ランシエール、ジャン・ティロールなど。これらの名前を見比べていてふと気づいたのだが、フランス人思想家のファーストネームはJから始まることが多い。卒論執筆時に散々お世話になっ…

0523

ランシエール『民主主義への憎悪』を読んでいる。フランス人思想家特有(標本数3くらい?)のレトリカルな言葉遣いがやや読みづらいが、刺激的な議論に満ちたたいへん面白い本である。そこで整理されている様々の概念を頭に入れたうえで現代社会を眺めなお…

0506

『ペスト』を読み終えました。本当によい小説で、感想など書く気になれない。せっかくなのでこの機会にもっと読まれるとよいと思う。 人は神によらずして聖者になりうるか。これはジャン・タルーの問いかけだが、僕は不可能であると思う。僕らは生活のためと…